うどんによくかける調味料の【一味】が実は仏教用語というのは以外ではないでしょうか?
これは、仏様は場所や時間、相手の能力に応じて説き方を変えても、
相手が輝かしい人生を生きるために説くという、本質は同じであることを意味しているそうです。
次は【玄関】。
仏教の世界では、「玄」は奥深い悟りの境地を意味しており、「関」はその入口を意味した言葉です。
つまり、『玄関』は「悟りという玄妙な仏教の境地への入り口」を表したものだそうです。
『玄関』は、仏教が日本に伝来したと同時に伝わったと言われています。
当初は、寺院や格式の高い建物にのみ設置されていましたが、
時代が変化するととも庶民の家でも見られるようになったのです。
そして、今では『玄関』のある家が当たり前になり、人々の生活に馴染み深いものへと変化しました。
続いて【アバター】。
カタカナだから外来語だと思われがちです。
ゲームの仮想世界に存在する自分の分身をアバターと言ったりします。
そういえば「アバター」という映画も話題になりました。
実はインドの仏教からきたものです。『アバター(avatar)』は、
古代インド語の「アヴァターラ(avatāra)」を語源としています。
「アヴァターラ(avatāra)」は、「権化」「化身」の意味があります。
仏教の「権化」や「化身」は、仏や菩薩などが、人々を救済するために人間世界に現れる仮の姿のことです。
つまり、仏教の考え方では、仏の世界が「真の世界」で人間の世界が「仮想世界」になります。
しかし、現在「アバター」を使う場合は、人間世界を「真の世界」とし、
ゲームやアニメなど「仮想世界」の自分の姿を「アバター」と呼んでいます。
つまり、現在わたしたちが使っている「アバター」の意味は、仏教的な本来の意味とは逆になっています。
最後は【うろうろ】。
あてもなく歩き回ることを「うろうろする」と言いますが、これも仏教用語が語源なのです。
『うろうろ』は、漢字で「有漏有漏」と表します。「漏」とは、人から溢れ出る煩悩のことです。
つまり、「漏(煩悩)」が「有る」と書いて『有漏』なのです。
反対に、悟りを開いて煩悩がない状態を「無漏」といいます。
できるだけ煩悩を減らして、うろうろしないようにしたいものです。
津志田